パラグアイSV

日系移住地

田才諒哉
人間文化課程 4年

林莉世
人間文化課程 3年

1. イグアス移住地

イグアス移住地とは、パラグアイの日系移住地の内の1つで、パラグアイの中では4番目に設立された移住地である。パラグアイの移住地は、戦後1950年代から始まったものが主である。日本文化が今もなお受け継がれていて、町のあちこちに日本を感じる風景がある。私たちはパラグアイに滞在して20日弱、スペイン語の飛び交う中に身を置いての活動であったため久しぶりの日本語が通じる環境に、メンバーのみんなもほっとしていた。街にはラーメン屋さんもあり、メニューも日本語で書かれており、日本のラーメン屋に入ったような感覚になった。本来お休みのところをお店の方のご好意でわざわざ開けてくださり、そのうえ餃子までサービスしていただいた。

本格的なラーメンをまさかパラグアイで食べれるとは思いもしませんでした。

スケジュールの関係で1日しか滞在することができなかったが、イグアスの方々は暖かく、至れり尽くせりおもてなしの心を多くの場面で感じさせてくれた。イグアス日本人会の会長の福井様は「日本人として誇りに思っている」とその強いアイデンティティを熱意を込めて語ってくれ、それを聞く私たちも心のどこかでそれが心地よく、うれしく思っていることを感じた。どこか懐かしさや日本の風情を感じる街であり、後ろ髪を引かれる思いでイグアスを後にした。

2. ピラポ移住地

ピラポとはパラグアイの南東に位置するイタプア県というところにあるピラポ市のことで、1960年に日本からの移住が始まった。入植当初は原生林であったが、移住した日本人が必死の努力で切り開いた土地でもある。現在、この地域の人口に対する日系人の割合は約2割程度だが、ピラポでは市認定から現在までずっと日系人の方が市長に就任されている。日系人がパラグアイに対して果たした役割は大きく、ほとんど野菜を摂取していなかったパラグアイ人への野菜の普及や大豆栽培は日系人の力があってこそだとお聞きした。今回のSVでは一番長くホームステイさせていただいた地域でもあり、数日にわたり私たち横浜国大生の寝食を世話してくださりありがたい限りであった。今回のピラポ移住地訪問で、市役所、農業組合、スーパー、診療所、ピラポ日本人会などを見学させていただいた。
特に私が興味を持ったのは、移住資料館である。ここには移住当時の貴重な資料がたくさん残されており、各家庭で使われている五右衛門風呂や箪笥なども船で運んできたそうである。移住当時の暮らしや苦労を知ることができ、学びに繋がった。
本稿では後半に日本語学校との交流についても、紹介させていただいているのでそちらもご参考いただきたい。

ひまわりの会の方がご馳走を用意してくださいました。感謝してもし尽せぬ限りです。

3. ラパス移住地

渡航メンバーの中でピラポを離れた後、現地で分かれて行動を別にし、数人が昨年度も訪問させていただいたラパス地区を訪問した。こちらについては昨年度のパラグアイ渡航のホームページを参考されたい。Global Studies Program 2013 『0917-0920 ラパス訪問』 http://www.ynu-gsp.jp/gsp2013/par/article_par-09.html

写真はピラポ日本語学校。日本語学校は日本語を習うための学校で、週1回土曜日のみ開校されている。学年は小学1年生から中学3年生まであり、日本で使われている国語の教科書を使って、授業が行われる。日系の子どもたちの多くは平日パラグアイの学校に通い、土曜日のみ日本語学校に通う。先生はその地域の若者がやっていることもあるという。現地ではドッジボールなどをして子供と交流する機会があったり、いろいろなことを話すことができて大変充実した時間を過ごすことができた。

日本語学校の皆様と。楽しい時間を過ごしました。

ピラポでは4日間、様々な方にお世話になった。日本から遠く離れたパラグアイの地で、日本語を話し日本の文化の中で生活している人がいることを知り、その人情味に触れることができとても温かい気持ちになった。喧噪とした日本の横浜で暮らしていては感じることのできない温かさで、心の保養となった数日間を過ごすことができた。お世話になった方々に改めて感謝申し上げたい。

コラム
日系移住地
田才諒哉 人間文化課程 4年

2014年9月17日〜18日は日系移住地であるイグアスへ、9月18日〜22日は日系移住地ピラポに滞在させていただきました。私はその後全体の動きとは離れ、昨年度訪問させていただいたラパスにも滞在させていただきました。

移住地では、高齢者の方々との交流会、同世代の若者たちとの交流、移住資料館見学、ホームステイなどをさせていただきました。日系1世の方が中心となった高齢者の方々との交流会では、日本からパラグアイへの移住を実際に体験した当時の貴重なお話をしていただきました。大型船に乗り、片道約60日間をかけての地球の反対側までの旅は相当に過酷なものであったと思います。ジャングルのような生い茂る木々を開拓し、今の移住地の姿にいたるまでの歴史を、ピラポの方々のお話や資料館見学を通じて学びました。
同世代の若者との交流では、家で交流したり魚釣りをしたり、若者らしい楽しみ方で時間を共にしました。彼・彼女らは日系3世、4世の代が中心で、パラグアイに生まれ育ちましたが、日本語も堪能です。移住地における日本語教育、日本の文化伝承に対する姿勢は、私たち日本人こそが忘れてはいけない姿ではないかと思わされました。ピラポで出会った日系の青年たちとは、今でもFacebookなどを通じて繋がっており、定期的にやりとりをしています。現に、パラグアイを離れた日本でも、また私がパラグアイに行った際にも良き友人として交流をしています。こうした若者同士の交流は、きっと将来のパラグアイと日本を繋ぐ架け橋となり、両国の発展に寄与すると思っております。
移住地に滞在するあいだ、多くの方がご自身の想いや自身のアイデンティティ、そして日系3世、4世の後世代にはどのように成長してほしいかなど切実な思いを語ってくださりました。宿泊させてもらうだけでもありがたいのですが、日本から来た私たちを親身になってもてなしてくださいました。日系社会は世界中で見ても特異なコミュニティで特別な社会であるということを耳にしたことがありますが、確かにパラグアイであのようなすばらしき日本文化の社会が続いていることは率直に不思議です。簡単に「努力の賜物」だと一言でくくるには語り切れない苦労の上で成り立つコミュニティであると私は滞在して感じました。
ここで繋がった繋がりを大切に、またピラポ・イグアス・ラパス、日系移住地の方の皆様と会える日を楽しみにしています。

コラム
もう一つの日本
林莉世 人間文化課程 3年

日本から30時間以上かかるパラグアイという地で、こんなにも日本を感じられたことに驚きました。街には日本語の看板がたくさんあり、日系の多くの方は日本語を話し、食卓には日本食が並ぶ。もう一つの日本に来たような感覚になりました。
また、今回の訪問ではホームステイもさせていただきました。それぞれの家庭の農業の様子を見せていただいたり、庭にある池で魚釣りをさせていただくなど、様々な体験をさせていただきました。
今回の移住地訪問に際して、たくさんの方にご協力いただきました。日系の方のあたたかさに触れた5日間でした。ありがとうございました。