パラグアイSV

パラグアイの学校

坂根優奈
人間文化課程 3年

1. アスンシオン日本人学校

日本人学校は日本語を教える日本語学校とは違う。外国で働く日本人の方々のお子さんが現地で通う日本人のための学校である。教科書は日本で使用するものと変わらない。先生もほとんどが日本人である。そのため、学校で行われている教育の水準はほとんど日本の学校と変わりない。むしろ、生徒数が少ないということもあり、学年を越えた生徒同士、生徒と先生との距離がとても近く、日本の学校よりも勉強面、生活面共に意図した教育が生徒全体に行き届いているように感じた。また子どもたちは日本で暮らす以上にさまざまな文化に触れる機会が多く、授業でもパラグアイの文化やスペイン語に触れる機会が多いようでたくさんのことを吸収しながらのびのびと過ごしているようであった。生徒は本当に素直にまっすぐ生活しており笑顔の絶えない子どもたちであった。
(HP: アスンシオン日本人学校 <https://coljap.wordpress.com/>(2014年9月2日アクセス))

訪れた私たちを小学校全体で温かく迎え入れてくださいました。

そこで私たちが行ったことは、
1 自己紹介や出し物などを行う交流会
2 私たちからの特別授業
3 授業参観
である。
交流会では、昨年に引き続きソーラン節交流も行った。今回はこちらもハッピを準備し気合十分だったが、子どもたちの元気の良い「どっこいしょ!」に圧倒……!

みんなで一緒にソーラン‼ソーラン‼子供たちの元気の良さには圧倒されました。

『世界の食卓-世界24か国の家族のごはん-』(ピーター・メンツェル、フェイス・ダルージオ著 訳みつじまちこ、2006年、TOTO出版)という世界各国の1週間に食べる食材とその家族の様子を写した写真集がある。特別授業としてこの本を基に、「食」から世界の文化の違いを学ぶ授業を行わせていただいた。日本から離れた地で暮らす子どもたちは世界のことに詳しく、こちらが驚いてしまうほどであった。生徒たちの反応が予想以上に良く、楽しく授業を行うことができた。

2. NIHON GAKKO大学

NIHON GAKKO大学とは、かつて横浜国立大学に在学していたエルメリンダ・オルテガ氏とデォニシオ・オリテガ氏(ご夫妻)が、日本の教育に感銘を受けて設立した私立学校である。立ち上げ当初生徒数が65人程の学校が、21年を経て、現在は幼稚園から小中高・大学・大学院まであり、生徒数は2000人も超えるとても大きな学校となっている。学校では、通常の授業に加えて、日本語や茶道、空手などの日本の文化の授業も行われている。茶室や医療の研修室、ラジオ放送室などもあり、設備も充実していた。

オルテガ夫妻ご自身が在籍されていた横浜国立大学から来た学生たちということで今年も大歓迎を受けました。

NIHON GAKKO大学では交流会に参加し学校見学を行った後、パラグアイの教育システム全般についてのブリーフィングを受けた。日本と同じような教育水準を目指しているというオルテガ氏のお話を聞き、「雨の日も授業が行われる」「時間通り授業が始まる」など日本では当たり前のことがパラグアイでは当たり前ではないこと、また自分たちがどれほど恵まれた環境で育ってきたかということを再認識させられた。日本から見て地球の反対側でもこれだけ日本に関わりの深い場所があるというは、日本人として非常に喜ばしいことだと感じた。

また教育システムなどは日本を参考にしていただいているようであったが、生徒たちはパラグアイで幾度も目にしたような温かさや人懐っこい笑顔を見せてくれた。私たちに気さくに声をかけてくれたり、サッカーをしようと声をかけてくれたりもした。そのようなパラグアイの素敵なところと日本の教育とが混ざり合った不思議と心地の良い場所であった。

NIHON GAKKOにて挨拶をさせていただいている様子です。

3. Y地区の小学校

Y地区は現地で活動するミタイ基金が2013年に小学校を建設した地区である。小学校の教室数は3つで、42人の生徒が通っている(2015年3月現在、78名)。まだ築1年で新しい校舎だが、教室やトイレなどの設備も非常に綺麗であり、先生方と生徒が大事に学校を利用してくれている印象を受けた。校庭には去年までは設置されていなかったゴミ箱が設置されており、学校を綺麗に扱おうとする工夫も見られた。そこでは、小学校の授業を見学させていただいたり、お互いにダンスや歌を披露し合ったりと子どもたちと交流した。
S地区の小学校を訪れた際の様子などについては後のページにて紹介させていただきたい。

コラム
―渡航を通しての学び―

学生でも国際協力の現場を自分の目で見ることができるのかと驚き、チャンスがあるなら私もと飛び込んだのが今回のSVパラグアイ渡航だった。
海外に行くことは初めてではなかったものの、社会調査として、国際協力を少しでも担うものとして海外に赴くのは初めてであった。パラグアイの街中や学校、農村、その場所で暮らすたくさんの人々に出会った。たくさんの優しさ温かさ、無邪気な笑顔に出会った。彼らの力に少しでもなれるならと渡航したはずだったが、彼らのおかげで大きな気付きを得て帰国した。今回の渡航を経て私が、まだまだ人としても勉強不足であることを痛感した。
国際協力という世界において正しいやり方というものは存在しないだろう。正しいやり方が存在しないにしても、相手方のニーズに添えるような活動をしたいと考えることはとても重要なことである。しかしどうすればそのニーズに応えられるのか、考えれば考えるほど自分がどう行動すべきか分からなくなってしまう。しかし、今目の前にいる彼ら・彼女らがより良い暮らしを望むのなら少しでも彼らの力になりたいという気持ちは膨らむばかりである。そういった意味で非常に苦しい思いをした。その時私たちの力でできることは精一杯行ったつもりであるが、より彼ら・彼女らの力になるためにはまず私たちがもっと学ばなければならないと痛切に感じたのである。まだまだ自分にはやるべきことがあると気づけたことは私にとって大きく、そう気づかせてくれたパラグアイで出会った方々や、この機会を設けてくださった藤掛教授や多くの方々には感謝が尽きない。そして彼らのためにも私はたゆまず学び続けたいと思う。




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参考リンク
注釈
  • 3 藤掛教授が代表を務める組織で1995年より活動を展開している。