フランスSV

島内の遺跡にみる「コルシカ」史

今泉雅希
人間文化課程 2年

先史時代のケルト系遺跡

コルシカ島内にはいろいろな時代の遺跡が存在するが、その中でも古いものは紀元前3世紀以前のものである。この時代は大きくは先史時代(Préhistorique)と呼ばれている。今回訪問した島の南西にあるフィリトーザは、その代表的な遺跡である。これらの遺跡には大陸の言葉でメンヒル(Menhir)、現地コルシカ語ではスタンターラ(Stantara)と呼ばれる剣を携えた人間をかたどった柱状立像が多数見られる。

メンヒルという言葉がもともとケルト系言語であることが示しているように、この巨大立像はコルシカに特有の文化ではなく、イングランド、フランス、ドイツなどでもよく見られる。ここから、古代コルシカ人たちが大陸と何らかのコミュニケーションを取っていたことがわかる。

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先史時代のキュプロクス系遺跡

一方、同じく先史時代の遺跡であるが、ケルトとは異なる「キュプロクス系」の遺跡もある。島南東部、ポルトヴェッキオ近辺に点在する石を円筒形状に積み重ねた構築物である。今回、タッパ遺跡を訪れたが、この遺跡は私有地の中にあり、羊を放牧していたせいか至る所、糞だらけで歩くのに苦労した。

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ローマ遺跡

時代が変わってローマ時代。コルシカは紀元前258年からローマの植民地となるが、その際、築かれた都市が島東部沿岸にあるアレリアである。東西南北一辺が200mにもみたない小規模なものだが、キャピトルと呼ばれる議場、フォーラムと呼ばれる市民が議論する場所の他、ローマならではの施設、浴場や神殿、商店街なども設けられていたのは驚きである。

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ピサの統治とロマネスク様式の教会

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島内では、時折ロマネスク様式で建てられた教会も目にする。「ロマネスク」とは「古代ローマ風の」という意味で、豪華絢爛さよりは質素かつ剛健性を追求した中世イタリア、特にピサが興隆した時代にはやった建築様式である。コルシカ島が11世紀からピサによる統治を受け、ピサは島内でキリスト教を布教することを教皇から命ぜられていたことから、島内各地にロマネスク様式の教会に建てた。今回はマリアナ教会を訪問した。コルシカにもう一つあるローマ都市遺跡「マリアナ」のすぐ横に大きい中世の教会があることに驚いた。

ジェノヴァの支配と城塞都市

コルシカのあちこちに築かれた沿岸の城塞都市は、12世紀にピサに代わってコルシカを支配したジェノヴァによって建造されものである。ジェノヴァの支配は穏健だったと言われるピサの統治よりも過酷なもので、城郭内部の都市にはジェノヴァ人にしか居住権を与えなかった一方、島民には厳しい弾圧を行ったといわれている。コルシカで1769年に生まれたナポレオンのボナパルト家も、ジェノヴァ時代にイタリアからコルシカの城塞都市アジャクシオに移り住んだのである。

ジェノヴァの支配は実に18世紀まで続くこととなったが、彼らの長きにわたる圧政は当然島民にとって耐えられるものではなく、数多くの反乱を産むとともにそこからコルシカ解放に立ち上がった英雄も誕生した。だが、結果的にはどれも失敗に終わることとなった。

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今回のスタディツアー内の遺跡巡りによって、コルシカ島の歴史は常に島外のどこかと関係(あるいは支配と言い換えられるのかもしれない)を持ってきたということがわかる。近年コルシカでは自身の島の文化を再興する動きが盛んになりつつあるが、それらの活動にはこういった歴史背景が関係しているのではないか。しかし、限られた空間に1000年以上も開きのある遺跡が同居する島コルシカは歴史の宝庫であると言える。