中国SV

香港のデモとグローバル化

山田静花
人間文化課程 2年

政府庁舎脇のテント。抗議を風化させないため、中で生活する人々がいる。

香港デモから学ぶ自治意識

香港では、一国二制度の原理の下、高度な自治が認められており、2017年の行政長官選挙から普通選挙化が行われることになっていた。しかし、2014年に大陸で開かれた全国人民代表大会で、行政長官の候補を2-3人に限定した上で、親中派である指名委員会の過半数の支持を必要とするという決定が下された。こうしたことへの反対からデモが始まったのである。

デモのストラップ

私が香港を訪れた時、デモはすでに鎮静化されたと聞いていた。しかし実際に政府庁舎を訪れると、その脇に仮設テントを建て、その中で生活を続ける人々が多くいた。ちょうどクリスマスイブだったので、テントの脇に小さなツリーがいくつか飾られていた。

テントの張り紙を読んでいると、中から出てきたおじいさんが、デモのシンボルを模したストラップをツリーからはずし、「君にあげよう」と言った。私が「頂いてもいいのですか?」と尋ねると、「関心を持ってくれてありがとう」と言われた。その時、抗議の声に耳を傾け、世界が関心や問題意識を持って報道することが、デモを行う人々にとって力になるのだと気付いた。

地面に書かれたstudy cornerの文字

また、香港大学の学生がデモに参加している間、自分たちの勉強も普段と変わらず行えるようにと設置したStudy Cornerは、私の目を引きつけた。彼らにとって、勉学も抗議行動も、同じくらい大切なことであり、どちらも疎かにしてはならないものなのだ。

香港大学構内では、掲示板上で反対派と賛成派が意見を戦わせていた。横断幕を掲げ、デモに対する主張を行っている人たちもいた。現代の日本の大学ではあまり見られることがない光景である。大学の授業で政治について考えても、学生個人が発信し、まして友人と意見を交換し議論することなどほとんどなかった。周囲の考えに流されるのではなく、一人ひとりがそれぞれの信念を持ち、真剣に政治とその在り方について考える姿勢には、学ぶものが多くあった。

香港大学構内の掲示板

構内に吊るされた横断幕

日本における投票率は低下傾向にあり、特に20代の若年層の投票率が著しく低い。民主主義の下、私たちに選挙権が与えられていることを当然と捉え、その意味を考えず、権利をただ享受していた今までの自分の生活態度を省みて、非常に恥ずかしいと感じた。

だが、昔から多くの香港市民が強い自治意識を持っていたかというと、そうではない。香港は1997年まで英国により植民地化されており、最高指導者への権力の集中という点からは、寧ろ大陸との類似性があった。それにも関わらず、1992年の世論調査では、英国による植民地化への賛意を示す意見が8割以上を占めていたのである。

このデモの最大の特徴は、若い世代が中心となって行われていることだ。植民地返還後に成長した世代だからこそ、民族自決を求める強い自治意識を持ち得たのではないだろうか。つまり、自治意識は伝統的に根付いたものではなく、個人の成長の過程で育まれていくものだということが分かる。一人一人の意識を変えていくことができれば、日本の若者世代にも、彼らのような自治意識を芽吹かせることができると言えよう。香港のデモは、日本の政治に対する関心の低さを浮き彫りにすると同時に、一筋の光を私達に投げかけてくれたのではないだろうか。

香港と大陸のグローバル化の差を引き起こす環境要因

今回のSVは、「アジアのグローバル化」をテーマとしている。グローバル化と中国について考える際、華僑の存在を除いて語ることはできない。しかし、華僑の人々だけを見て、中国のグローバル化が一様に進んでいると言って良いのだろうか。実際に現地に赴き、華僑を除いて現代中国のグローバル化について考えた際、香港と大陸の間には程度の差があることに気付いた。それは異文化の受容の差であり、これこそが香港を大陸よりもグローバル化を引き起こしやすい環境にしている要因である。異文化の受容への差が生じた背景には、香港と大陸の社会や文化の相違が大きく関係していると考えられる。実際、広州と香港での滞在を経て改めて比較した際、私の目には「国際都市としての香港」という側面が強調して映し出された。香港は多国籍企業の商業地として、世界経済における確立した地位を築いている。そのため、中国の様式を多く残した広州の景観に比べ、様々な国の企業のビルが数多く建設された、国際都市を実感する様相を呈していた。こうした街並みは、まさに経済の地球規模化を体現していると言えよう。

ヴィクトリアハーバー、多国籍企業のネオンが光る

言語についても同様である。広州ではほとんどの人が広東語しか話さない上、英語もほとんど使用せず、共通語である普通話さえも通じない場合が多かった。これでは、異文化とのコミュニケ―ションが取りづらい。一方香港では、イギリスによる植民地時代唯一の公用語とされていた影響もあり、英語が公用語として認められている。多国籍間の物流の中心地としての役割を担っていたため、英語教育の指向性が高かったことも英語が公用語として認められた一因だ。従って香港の多くの人は、普通話と英語、自身の故郷の方言を話せる。つまり、異文化とのコミュニケーションを取りやすいという点においても、香港の方がよりグローバル化の推進に適していたのである。

こうした環境の違いは、民主化を求めるデモにも影響を及ぼしている。特に、報道の自由の大陸との差は、香港の強みでもある。広州に限らず中国本土では、報道に対する規制が非常に厳しく、報道統制のさらなる強化が問題となっている。例えば、中国本土では2011年頃、アラブの春に追随し、共産党の一党独裁からの脱却と民主化を求める、中国ジャスミン革命と呼ばれる運動が起きた。これに対し中国政府は、民主化デモの情報を遮断する為、情報端末のアクセスを制限した。実際に私が滞在している間も、LINEやFace bookなどの機能が使用できなかった。政府によるこのような施策を受け、以降中国ジャスミン革命は下火となっている。

一方香港では、中国政府の内幕情報や指導者に対する批判的な言論も、「蘋果日報」や雑誌「爭鳴」「開放」に代表されるメディアを通じて合法的に発信することができる。今回のデモは、こうした地盤があったからこそ全土を巻き込む大規模なものへと発展できたのだろう。また、香港デモについても、次世代の情報機器を活用した広報活動が盛んなことから、アラブの春に代表される、大衆運動におけるSNSなどのネットワークの利用との類似性を指摘する声もある。こうしたグローバルな世界規模の潮流に乗り、それを継続して行うことが可能な環境が、大陸と異なり香港では築かれているのである。