中国SV

華僑の見た夢〜衣錦還郷〜

矢野智史
人間文化課程 3年

開平の楼閣群、往時には水害や盗賊から住民を守る役割も担っていた。

その楼閣群は中国南部、広東省開平市のどこにでもある長閑な田園風景の中から突如として現れる。「開平楼閣と村落」として世界文化遺産にもなっているそれらの楼閣の特徴は西洋の建築様式を取り入れた高層建築にあるだろう。それらは19世紀中頃から20世紀前半にアメリカに渡った華僑達によって建てられた。西洋建築の堅牢でモダンな構造、西洋風の装飾は中国南方の温暖で南国めいた風土にひどく不似合で不釣り合いに見える。しかし、楼閣群の作られた経緯や国を離れ異国の地で働かざるをえなかった華僑たちの事を知るにつけ、私の頭の中で開平の地で生きた人々の情景と楼閣とが自然に結びつくようになった。開平の地と西洋風の楼閣群を結びつけるもの、それは華僑達の思いだと私は考える。その思いは世界中のあらゆる地域に移り住みながらも帰化をせず中国国籍を持ち続け、中華コミュニティを形成し、中華文化の継承に努めている彼らの心の支えになっているのではないだろうか。

中国には落葉帰根という考え方がある。人間は落ち葉が根元に帰るように死んだら故郷に帰るという意味だ。一方で落地生根という考え方もある。故郷を遠く離れ、異国の地に渡り、その地に同化し、子孫を作り、その地の土に帰るという意味になる。一見相反する考え方のように思えるがこの二つの考え方を華僑は自分たちの生き方として綺麗に融合させている。広州SVの事前学習として横浜中華街の華僑二世の方の話を聞く機会があった。彼は日本で生まれ育ちながらも両親が生まれ育った故郷に己のルーツを求め、その地に訪れたことを嬉しそうに語っていた。彼は己のアイデンティティを生まれ育った日本にではなく、両親から聞かされ、中華街にある中華学校で学んだ中華文化をもとに確立しているといえる。およそ百年前に日本に渡ってきた彼の父親の落葉帰根は子供である彼を通して行われたのだ。華僑たちは自分たちの世代では叶えることができなかった落葉帰根を、世代をまたぐアイデンティティの継承を通して次の世代に託すことで叶えようとしている。華僑たちは移民した国で強固な中華コミュニティティを形成し、中華学校を作ることで子弟たちに独自の教育を行い、中華文化の伝統的な催事を大切に保存している。華僑コミュニティティの存在意義の一つは落地生根をしながらも中国人としてのアイデンティティを世代間で継承していき、いつの日か必ず落葉帰根を実現させることにあるだろう。

香港大学内にある博物館、館内の展示品は中華4千年の歴史を体現するように豊富で面白い。

また、広州SV中に訪れた博物館の中には華僑たちの金銭的支援や、コレクションの寄付によって成り立っているものがいくつかあった。その博物館の内容は海外文化の紹介ではなく中華文化に関するものだった。海外で成功した華僑たちは己の成功の形を移住した地にではなく中国本土での中華文化の保存と継承を通して表している。中華文化への思いや帰属意識は中国の地を離れた華僑たちの間でより一層強い影響力を持っている。それを踏まえて考えると、それらの博物館は中華文化への帰属意識の重要性を再認識した華僑たちから本土の同胞たちへ向けたメッセージのようにも思えてくる。中国を離れた華僑たちの中国への思いは、自らのアイデンティティの確立の手段となり、中華世界における自らの存在価値の創造の原動力になっているといえよう。

近代中国の父、孫文と中山記念堂、辛亥革命成功の裏には中国の行く末を憂いた華僑達の支援があった。

故郷に錦を飾るという言葉がある。中国では衣錦還郷となる。生まれ育った土地を離れ遠い異国の地で最底辺の労働力として働いた華僑達にとって、開平の地に建つ楼閣や中国本土に建つ博物館は故郷に飾った錦であり、異国の地で見た夢であったのではないだろうか。その夢は世代を超えて受け継がれていく。