オーストリアSV

ウィーンのエスニックタウン

渡邉武瑠
教育人間科学部 人間文化課程 2年

オーストリアの中の「異文化」

オーストリアは多民族国家であると言われている。ウィーンでは、トルコ人の移住が多く、トルコ人街が形成されている。しかし、こういったエスニックタウンの存在は、日本で出版・販売されている観光ガイドブックの中では確認することができない。どうしてそういった街の一側面は、観光ガイドで全くと言っていいほど取り上げられないのか。このような疑問を抱いた私は、「なぜエスニック的な要素は観光ガイドに取り上げられないのか」という問いを設定し、その答えを見つけるべく、フィールドワークを行った。

エスニックタウンを歩いて

①ブルネンマルクト(トルコ人街)

ここでは、リング内とは明らかに異なる独特の街の雰囲気を感じ取ることができた。大通りの両端に屋台が出されており、店員も買い物客も浅黒い肌の色の人々が多く、「ガイドブックの中のウィーン」しか知らない私は、ここは本当にウィーンなのだろうかと疑ってしまうほどであった。聴こえてくる言葉はドイツ語でも英語でもなく、ここはやはりトルコ人街なのだろうと感じた。屋台で売られているものも、「ガイドブックの中のウィーン」のイメージとは大いに異なるものばかりであった。ケバブ、淡水魚らしき魚(英語でコイと書かれているものもあった)、見たこともないような野菜、切り刻まれて何の動物かもわからない肉片、ナッツ、香辛料、adidasやBMWと書かれたスウェットというように、エスニック的な物や少し怪しいような物が多く見られた。

オーストリアSV2017:エスニックタウンでは「生々しさ」が目につく

エスニックタウンでは「生々しさ」が目につく

また、店員がいない屋台が多くあり、商品が盗まれるのではないかと少し心配になった。日本ではありえないことなので、私は驚愕し、海外の労働観を初めて身をもって実感することとなった。大通りから路地裏に回ってみると、大通りの喧騒が一気になくなり、人の姿もほとんど見られなかった。一階にはカフェが入っていて、それより上の階は住宅であるような建物が、ほとんど密接して道の両端に並んでおり、明らかに生活のための空間であるという印象を覚えた。街の全体を歩いてみて、オーストリア人らしい人の姿も見られたが、やはり、観光地であるというよりは、トルコ人の商業の場、日常的な買い物の場であるという印象が強かった。

②ナッシュマルクト

この市場は、立地的には最も恵まれたエスニックエリアであった。主要な駅であるカールスプラッツから徒歩数分で行けるのだ。一部の観光ガイドブックにも取り上げられている。しかし、載っていない観光ガイドの方が多い。

野菜や果物、肉、魚、ナッツ、チーズなどが屋台で売られている一方で、アジア料理店などのレストランも見られる。ある食料品店では、韓国のインスタントラーメンや日本のお菓子なども確認することができた。ブッダやヒンドゥー教の神であるガネーシャがプリントされた絨毯が売られており、宗教という観点からも多様性を感じられた。

オーストリアSV2017:ヒンドゥー教の神であるガネーシャ

ヒンドゥー教の神であるガネーシャ

とにかくいろいろな国のもの、得体の知れないものが混在しており、「〜人街」というように分類するのは不可能であると感じた。店員や客を見てみても、他の中東系の住民が多いエスニックタウンとは異なり、オーストリア人の若者が多いような印象を受けた。倉庫にはアーティスティックな装飾が施されていた。エスニックタウンは「クールな街」としてウィーンの若者の間で流行になっているという話を小宮教授から伺っていたが、ここへ来て初めてそれを実感することができた。ウィーンの中では人気のスポットになっているというのに、日本の観光ガイドには取り上げられていないことに対し、改めて違和感を覚えた。

オーストリアSV2017:二つのエスニックタウンの位置

二つのエスニックタウンの位置

異文化の中の異文化

日本の観光ガイドに載っていないエスニックタウンを歩いてきて、「なぜエスニックタウンは観光ガイドに取り上げられないのか」という問いについて考察した結果を述べていく。

第一に、ウィーンまで行ってオーストリアとは別の国の文化を楽しむことにそれほど価値を感じられるかという問題があるだろう。しかし、これについては批判の余地がある。日本の横浜中華街や新大久保といったエスニックタウンが、日本人だけでなく、外国人観光客にも人気であるという事実はこの反証となり得るであろう。今後、ウィーンのエスニックタウンも人気の観光スポットとなっていく可能性も否定できないと思われる。ナッシュマルクトに多くのオーストリア人らしき若者がいたのは、その兆候であるとも考えられる。

そもそも「観光」とは?

また、「観光」とはそもそも何なのかということを問うことによっても、この問いに対する答えを得られる。「観光」の語源は、「光を観る」ではないだろうか。つまり、観光とは、ものごとの明るい側面だけを観る行動だと考えられる。切り刻まれた肉や魚を目にすることで、普段の食事がどうやって自分のもとまでもたらされているのかを嫌でも意識してしまうようなエスニックタウンは、「光」というよりは、隠蔽しておきたい「闇」の存在なのかもしれない。

観光ガイドの特色からも考察ができる。観光ガイドに載っているのは、確かな情報、整然としたもの、分かりやすく説明できるものである。一方、エスニックタウンにあるのは、どこの国のノーツかわからないもの、そもそも何なのかわからないものが多い。テーマ性や統一的なイメージを持つガイドブックの世界観と、カオスの世界であるエスニックタウンとは、相容れない存在なのかもしれない。ここには、現代人の美意識の問題も関係していると考えられる。現代において人々は、整然としたもの、わかりやすいものを好む傾向にあるのではないだろうか。その需要と混沌としたエスニックタウンはマッチしないように思われる。

観光を「楽しむ」?

こういった美意識は、「観光の楽しみ方」という問題とも密接に関係していると私は考える。人々は説明なしでは観光を楽しめなくなっているのではないだろうか。観光ガイドや音声ガイドによって、「これは〜です」と教えてもらわないと、それが何なのかさえも認識できず、もやもやとした気持ちを抱えることになってしまう。それは非常に「受動的な」態度であると言える。それはまるで、「観光を楽しんでいる」というよりは、「観光を楽しませられている」かのようだ。観光とは、そもそも補助的な道具がないと成立し得ないものなのかもしれない。こういった意味において、与えられた情報の中で楽しむ「観光」と未知の探求をする「冒険」は別物であると考えられる。改めて振り返ってみると、エスニックタウンを歩いた私の体験は、「観光」というより「冒険」に近いものであったように思われる。エスニックタウンには説明が不足している。自分から店員に話しかけない限り、説明は得られない。何かよくわからないものの正体を考える。それは「主体的な」営みであると言える。エスニックタウンには、「観光ガイドに歩かせられる観光」を乗り越える可能性を感じられる。ある程度のところまで誘導して来て、あとは観光客の主体性に委ねるような「冒険を誘発する観光」という新しい観光の在り方が、エスニックタウンにおいて実現できるかもしれない。