オーストリアSV

偉人の顕彰について

藤澤七海
教育人間科学部人間文化課程 2年

はじめに

観光地として成功を収めているオーストリアには、死後もなお国内外で人気を博し続ける有名な人物がいる。オーストリアではどのようにして人の人生や人そのものを観光資源として活用しているのか、かつてウィーンの地を支配したハプスブルク帝国の皇后エリーザベトに焦点を当てて研究を行った。

ハプスブルク家の滅亡から現在まで

現在のオーストリア共和国は、豊富な文化資源を観光資源として生かし、国を豊かにしている。その資源には無論ハプスブルク家の遺産も含まれており、オーストリアの観光地としての成功を大きく支えた。同国は過去に帝政を追放し、現在は共和制を推し進めているにも関わらず、帝政時代のハプスブルク帝国を観光資源として前面に押し出し発信している。ウィーンにある王宮庭園が皇帝一家と宮廷人しか立ち入ることのできないプライベートなものから、一転、1919年の王朝崩壊以降はすんなり一般公開されたことはまさにその例である。自ら廃した帝政を、共和制国家の中で文化資源として無駄なく有効活用してみせたこの流れには、観光事業成功の裏に隠れるオーストリアのしたたかさのようなものを感じずにはいられなかった。

日本のハプスブルク家へのイメージ

観光において、対象に対して抱くイメージはその観光の成功を左右する重要な要因になる。そこで、日本とオーストリアのハプスブルク家に対して抱くイメージの相違点を考察した。日本では、ハプスブルク帝国は決して身近な存在ではないため、宝塚歌劇団や帝国劇場が上演してきたミュージカルで描かれている内容がそのままハプスブルク家に対する一般のイメージとして定着している傾向がある。中でもミュージカル『エリザベート』は若い世代を中心に広く浸透しており、一般日本人の考えるエリーザベト像はこの歌劇から来ていると言っても過言ではない。他に、日本で出版されているウィーンの観光ガイドブック(『ララチッタ』JTBパブリッシング、『タビトモ』JTBパブリッシング、『ことりっぷ』昭文社)を見てみると、これらではハプスブルク帝国ゆかりの建造物特集や当時の皇族御用達のお店をまとめるなどして、かつての栄華を感じられるスポットや物に焦点を当てている。

一方、オーストリアでもハプスブルク帝国の栄華を押し出していることには変わりないが、皇后エリーザベトに対するイメージは日本とは異なっており、それは街の随所に現れていた。

お土産から見えてくるもの

ウィーンの代表的なお土産の一つに、「モーツァルトクーゲルン」なるものがある。モーツァルトの顔の包み紙が印象的なボール状のお菓子であり、土産専門店だけでなくウィーン市内のスーパーにも並ぶ定番お土産である。実は、これのエリーザベト版も存在しており、彼女の愛称を取って「シシィクーゲルン」として販売されている。他には、ウィーン少年合唱団員版、さらにはシェーンブルン宮殿のクーゲルンもあるが、これらの味はそこまでの大差がなく、包み紙に何が描かれているかという違いくらいしかない。エリーザベトは、美貌の皇后として崇拝される存在でありながら、このように一マスコットとして大衆に近い存在でもあった。また、ホーフブルク周辺の土産販売店では、お風呂に浮かべる黄色いアヒルのエリーザベト版を見かけた。すでに逝去した存在であるとはいえ、皇后をアヒルのお土産にすることは日本では決してあり得ない発想である。シシィクーゲルンにしても、皇族をモチーフにした商品というと日本では記念切手程度にとどまり、民間企業の製品には登場し得ない。お土産のあり方から分かるように、ハプスブルクに対するイメージが日本とオーストリアとで異なる要因の一つには、両国にとっての「皇后」の位置付けの違いがあった。

触れていいこと、触れられないこと

なぜオーストリアでは皇后を観光資源にでき、日本ではできないのか。

それはやはり、天皇・天皇制が継続しているか否かに関わっている。過去に帝政を廃止、皇族を国外追放し、現在は共和制国家になったオーストリアは、かつての支配者:ハプスブルク家の人々に対しての禁忌が全くと言っていいほど存在しない。むしろ、先にも述べたように、追放してしまった彼らの肖像画をこういった形でお土産にしたり、宮殿や豪華な家具・所持品を観光用に整備したりすることで、観光地ウィーンとして遺産を巧みに活用した。

まとめ:観光化に成功する偉人たち

帝政から共和制の移行さえしていればどんな皇后でもどんな人物でも同様な観光を成立させることができるかというとそうではない。エリーザベトを顕彰するにしても、観光資源としてのエリーザベト像は実際の彼女を少し誇張したり隠したりしながら、観光用に取捨選択しているようである。ミュージカル『エリーザベト』では皇太后ゾフィーとエリーザベトの嫁姑関係の摩擦が話の筋として重視されているのがその例だ。

日本における偉人の顕彰として、昭和天皇や新撰組の観光資源化なども比較してみる。この二つでは、後者を主題にした作品の方が前者に比べてずっと多い。新撰組の知名度は昭和天皇のそれに遠く及ばないものの、天皇とは異なり事実を脚色しやすいうえ、波乱万丈さや悲劇的なシナリオなど、没後に人気が高まる要素を十分に含んでいる。隊士沖田総司が病弱な美男子としてのイメージを確立したのも、新撰組を文化資源として活用する上で、特別性と普遍性の両方を前面に出す必要があったからではないだろうか。過去に血縁相続をしてきた支配者だという点では、日本における天皇も幕府の将軍も共通する。しかし、両者が決して同列に扱われないのは、オーストリアの帝政廃止と同様、現在も継続されることでタブーが生まれるからであると考えた。このように、人や、人の人生を観光資源としていくには、その人の知名度や人気だけでなく、国の政治体制との関わりも含めて一部を隠し、一部を誇張しながら、観光政策を適切に取っていく必要があった。

オーストリアSV2016:血痕の残る軍服

フェルディナント大公暗殺の時に着用していた血痕の
残る軍服も展示してしまう(ウィーン軍事史博物館)

オーストリアSV2016:ヘルメスヴィラ

日本で出版されているウィーンのガイドブックでは
ほとんど取り上げられないヘルメスヴィラ