オーストリアSV

芸術と生きる

八木柚月
人間文化課程 2年

はじめに オーストリアの首都ウィーン。バロック建築に赤い絨毯とシャンデリア、モーツアルトの曲が流れ、優雅に午後のティータイム。きっとそんな至福のひとときを思い浮かべるに違いない。なぜなら、日本の観光ガイドブックでは、かつて中欧で強大な勢力を誇ったハプスブルク帝国の遺産であるホーフブルク宮殿やシェーンブルン宮殿と共に、オペラハウスやカフェの情報が所狭しと並んでいるからである。

私は、ウィーンがなぜ観光都市、芸術の都と呼ばれているのかというテーマを設定し、日本における芸術を通じたまちおこしへの活用を提案することを目標に調査することにした。当初、日本や海外の観光情報誌やウェブページで大きく取り上げられていた宮殿や美術館を中心に調査しようと挑んだ10日間のSVであったが、音楽から建築、美術に至るまで多岐にわたる芸術と触れ合う時間となった。

このSVで私は日本にはない芸術とのつきあい方を目の当たりにしただけでなく、人を中心とした街づくりを垣間見ることが出来た。

以下は芸術と共に生きるウィーンについてまとめたものである。

芸術を楽しむ、たしなむ

ウィーンでは芸術は楽しむものである。ウィーンでは安く、気軽に芸術と触れ合うことが出来るのである。国立歌劇場では当日立ち見であるならオペラを3〜4€で見ることが出来る。また、子供たちの遊ぶ砂場や乗馬、メリーゴーランドに加え、芸術家の工房も立ち並んでいるクリスマスマーケットに行くことが出来、工房で陶器の絵付けの体験をする機会を得た。

オーストリアSV2016:カールス教会前のクリスマスマーケット(テーマは芸術の出現)

カールス教会前のクリスマスマーケット
(テーマは芸術の出現)

オーストリアSV2016:ホテル近くの体験工房(Made by you)

ホテル近くの体験工房
(Made by you)

これらは一例であり、ウィーンにはふらっと立ち寄ることが出来る体験の場が豊富に存在するのである。ウィーンにおいて芸術は、肩に力を入れてたしなむ、理解する対象ではなく、身近な存在として生活の一部として存在している。そしてクラシック音楽から雑貨、子供の遊戯に至るまですべて芸術として、幅広く受け入れられ、分かるかどうか、出来るかどうかという判断なしに、皆に楽しまれているのである。

芸術は生活の一部

ウィーンにおいてこのように芸術を楽しむことは豊かに生きるために欠かせないことである。

ウィーン楽友教会資料館館長オットー・ビーバーさんによると、古くは君主の権力を誇張して市民に見せるために音楽の力が使われ、18世紀終わりごろからは貴族や市民という階層を超えて音楽愛好家同士が音楽を楽しむようになったそうだ。市民にとって音楽は身近な存在であり、意識しなくても芸術が当たり前にあるという環境に置かれていたのである。

精神病院と聞くと、どのような連想をするだろうか。私は暗い廊下や鉄格子、発狂する人々というイメージを勝手に抱いていた。しかし、ウィーン14区の「Sozialmedizinisches Zentrum Baumgartner HöheOtto-Wagner Spital und Pflegezentrum」という精神病院には避暑地や別荘の様な穏やかな環境があったのである。ここは世紀末建築を代表する建築家であるオットー・ワーグナーがその創設に携わり、20世紀のはじめに精神病患者の治療と介護のために作られた公的な施設である。精神病患者が人間らしく過ごせる場所を生み出すことに力がそそがれ、森の中をあるけば、皆で料理が出来る集会場があり、歌劇場があり、祈りを捧げる教会がある。

ナチスドイツによって彼らは虐殺されてしまうという残酷な運命を辿ってしまったという過去を持っているが、それより前に芸術や信仰によって健全な心を取り戻そうという試みが行われていたことは、豊かに生きるために芸術や信仰がいかに大切であると考えられてきたのかを証明する画期的な事例である。

オーストリアSV2016:小宮正安教授と歌劇場

小宮正安教授と歌劇場

オーストリアSV2016:シュタインホーフ教会

シュタインホーフ教会

今を生きるスペース

ウィーンにはなんのために使われているのか分からないアートスペースが街中に存在している。16世紀から続く薬局は今も地元の人が使う地域の薬局として機能しており、世紀末建築を代表する建築家オットー・ワーグナーの設計した駅舎や集合住宅は今も使われている。ガゾメーター(旧ガスタンク)はショッピングモールへと変貌し、ホーフブルク宮殿やシェーンブルン宮殿の一部非公開ルームには人が住んでいるのである。美術館でもただ作品を展示している訳ではない。そこでは絵に近づいて模写をすることが許されている。

このようにウィーンでは歴史的遺産をいかに美しく保つかということよりも、いかに使うかということに価値が置かれている。それらに手を加えることによってウィーンの中心でさえも生活圏となっているのである。通常、セセッションの外観は白色であるが、過去には壁が赤く塗られたこともあった。壁に直接色を塗ったとしても上からまた塗りなおせばいいという感覚や、建物を改造してもよいという感覚は私にとって全く馴染みのないものであった。

オーストリアSV2016:美術史博物館内の様子

美術史博物館内の様子

オーストリアSV2016:セセッション(分離派会館)

セセッション(分離派会館)

ウィーンに住みたい

ウィーンの街を歩いているとコンサートや展覧会の情報が自然と目に飛び込んでくる。芸術の街ウィーンでは芸術は意識しないでも当たり前に存在しているのである。ウィーン独特の芸術に開かれた風土はその道を志す者にとっても、芸術に興味がある観光客にとっても居心地の良いものであり、そんな環境に身を置きたいと願う芸術家や愛好家がウィーンを目指して世界中からやってくる。そこでは芸術を楽しむことは生きることであり、寛容な気風があるのである。

おわりに

ローマ時代からハプスブルク帝国の栄光、ナチスドイツが残した爪痕まで、街の至るところに過去の爪痕の見られるウィーンの街は時間を、時の流れを感じあせられる街でもある。そして教会の地下に人骨が沢山埋まっている、生と死を感じられる街でもあり民族的な広がりを感じさせる街でもある。そんなウィーンの街は今生きる人と共に刻々と変化する、生きている街ともいえる。ウィーンでは日本人が想像する華やかな宮廷文化と共に、現代芸術が息づいているのである。過去の姿にとらわれず、内外で活躍する芸術家と共にウィーンの街は刻々と変化する。ウィーン全体が芸術の街として機能し、そこが生活圏として人々に受け入れられている。

今回のSVで、日本人の考え方が独自のものでありウィーンでは全く違った価値観があることを知った。観光地同士が断絶し、それらをスタンプラリーの様に巡る日本の観光の仕方、目的別に建設される建物、趣味を極めることが歓迎される慣習、大学で専門的な教育が推進されることもすべて人や物に対して特殊性が求められているからではないだろうか。

楽しみながら気軽に芸術と触れ合い生活し、空いている場所の使い方が多様に変化するウィーン。大学では同時進行で複数の学部や学科の授業を取ることが出来る。そこには全く違う価値観が存在しているように思われるのである。

このSVを通して新たな考え方を持つようになり、プレイスよりスペースの使い方を工夫すること、趣味、学問に対しての柔軟な発想をもつことが心豊かに生きるために必要なのではないかと考えるようになった。

場所があってそこに人が集まるのではなく、人が集まって場所を生み出す街づくりへ。音楽を演奏したい、美術作品を展示したい、スポーツをしたい、料理をしたい、マーケットをしてみたい。ウィーン大学で民間のクリスマスマーケットが開かれているように、同じ想いをもつ地域の人がそれを空いているスペースで気軽に実現できるようになることが、日本の街づくりが目指すべき大きな1つの方向性ではないかと考えるのである。