ロンドンSV

ブリクストンのアーケードマーケット

浅沼宗太  小松玲葉
人間文化課程

ロンドンSVも後半に差し掛かった3月8日、我々はテムズ川を渡った南ロンドンのブリクストンを訪れた。ストラトフォードから地下鉄を乗り継ぎ、目的地に着くと、先日授業をしてくださったアラン先生と合流した。このブリクストンという町は、黒人系の移民が多く、以前はロンドンの中でも治安が悪いことで知られていた。だが、近年はアーケードマーケットのブリクストン・ヴィレッジがリニューアルされたこともあり、明るく活気のある街に生まれ変わりつつある。今回、ここを訪れた目的は、実際に街を歩きながらその様子を知ること、そしてアフリカ・カリブ系黒人の人々がどのように暮らしているかを見ることである。

先生方に引率され、時々説明を受けながら、ブリクストンの町を歩いていくと、やはりロンドン中心部とは違う風景が続いていく。まず駅を出たところでは建物はいずれもせいぜい3,4階建てで、スーパーマーケットや雑貨店の醸し出す生活感が、この一帯が住宅街であることを示している。ところが最近は、それら個人経営店を追い出して、会社の事務所などもっと資金を持っている相手に土地を提供しようという動きがあるようで、それを糾弾する地元住民による看板が立っていた。町が発展したことによる副作用とでもいうべきか、元々住んでいた住民が生活基盤を失うことが起きつつあるようだ。

ロンドンSV2015:ブリクストンのアーケードマーケット 写真1

歩き始めて20分ほどで、大きな商店街に到着した。ここが先述したブリクストン・ヴィレッジである。平日にもかかわらず活気のあるストリートには、黒人系だけでなく、白人やアジア系の人も入り交じっている。私は日本の昔ながらの下町商店街のような、地元住民ぐらいが夕食の材料を買いに来るような落ち着いた雰囲気をイメージしていたが、実際は非常に活気ある、観光地とも言えそうな明るい雰囲気であった。さて、どのような店があるかというと、あまりに多様で一言では表せないほどである。庶民的な鮮魚店や肉屋(ハラル専門のものもあった)、八百屋に始まり、ポッシュな感じのレストランや雑貨屋、カフェが隣り合いながら並んでいる。さらに、それらの店も様々な国籍に分かれていて、レストラン一つを例にとってみても、インド、メキシコ、スペインなど、数多くのエスニック料理店がある。「おかん」という日本料理屋まであった。

その後、商店街を抜け、ブラック・アフリカンの博物館を見学した後、中心部であるブリクストン駅から見て北西に歩いて行った。住宅街を歩き、デンマークヒル駅で解散となった。

ロンドンSV2015:ブリクストンのアーケードマーケット 写真2

ブリクストンという町は、人種の多様性という点ではロンドンを象徴している。ただ、私がわかったのは単純に多様な人種が住んでいて、そして訪れているという意味での多様性であり、いかに共存しているかという核心を知ることは1日ではできなかった。それを知るためには、実際に住んでみなければわからないのだろう。だが、実際に歩いてみてわかることは、ここに住む人々は外国人を拒絶するようなことはしないということだ。なぜなら、見た目で外国人かがわからないのだから。

ブリクストンで私が考えるようになったのはこの点で、外国人とは何かということだ。この町では見た目と血統だけで自国民か否かはわからない。もちろんこれはロンドンに限ったことではないし、国籍の有無となれば移民はどう扱うのかという問題になってくる。実際に自分が外国人になったことで私が考えるようになった、もっと単純な一つの基準として、言葉ができるか否かということがあげられる。例えば、探索中に我々が商店街で何度か声をかけられた。「ニーハオ!」と。おそらく、アジア人が10人くらいで探索しているのを見て、彼らは私たちを中国人だと思ったのだろう。このことから言えるのは、我々が外国人だと思われた(当然といえばそうだが)ことで、だから中国語で話しかけられたのだ。このときもし、全員が英語で返事をしたら、外国人じゃないかもしれないと思われただろう。

言葉の壁、という言葉があるが、それは同時に国民の壁ともいえるのだと思う。もちろん、言葉は1つの要素に過ぎないが、外国人か否かを考えるうえで非常に重要なものであるとわかった。