アメリカSV

座談会

参加者:清田、根岸、岡、浅倉、田村、井竿、谷、川畑

根岸 コミュニティについての閉鎖性の問題を書いている人が多かったので、今回の座談会で、もう少し掘り下げよう。川畑君は少し閉鎖的になっているといったけど、川畑君自身はどこをみてそう感じたの?

川畑 ガイドさんの話し方ですかね。話すときの熱の入れようから閉鎖的な感じを受けました。LGBTが当たり前で、みんなヘテロになろうとしているだけだというところで。口調もちょっときつかったし。

根岸 LGBTじゃない人に対して寛容じゃないということ?

川畑 逆に言えば、ガイドさん以外の部分から閉鎖性は感じなかった。

根岸 写真などを見てその辺を感じてもらえればいいんですが…

浅倉 どのようなあり方が望ましいと思ってみんなが閉鎖性ということを言っているのかを知りたい。たとえば中華街*8のように、アメリカ社会に同化できずに中国語だけを使うような場所を作るのは閉鎖的だと思ったんですよね。でも自民族の文化を守っているとも見ることができる。先生が送った論文の中に、自民族の伝統や文化を守りながらも、アメリカへ貢献しているというのがあったけれど、そのあり方はどうかとか。何をもって閉鎖性と言っているのかにばらつきがありそう。

井竿 昨年行ったジャパニーズアメリカンミュージアムでも、過去のアメリカへの貢献度で自分たちの民族を評価してもらおうとしている試みを見ることができましたよね。

行ってみて、閉鎖的なことが悪いとは思わなかった。こうして文字にしてみると否定的なイメージになってしまうけど、実はそうでもなくて、逆にジャパンタウン*5のほうが異質に見えてしまった。ジャパンじゃないじゃん!みたいな

自分が日本人だから

そうそう、それをどう表わしたらいいのかわからなくて、結局閉鎖性とか開放性と言ってしまうんだけど、意味的には逆に使いたかったな。そんな悪いことではないと思う

閉じきってる感じではないんだよね。

一体感とか、そんなのに近い感じ。でも、それだと労働運動みたいなイメージになって難しいなという感じで。

浅倉 じゃあ岡さんは閉鎖的と書いたけど、それは悪いことではなく、一体感とか団結とかに近い意味で使いたかったんだ。

そうそう、文化を守ってる。

田村 閉鎖と開放だけで考えるべきではないのかなと。カストロ*11で思ったのは、地理的に見たら閉じられてるなぁと思って。博物館の館長さんへのインタビューのときに、『これからこのコミュニティを広げていきたいですか』と聞いたんだけど、『このまま守っていくのが精いっぱい』だと言っていて。閉鎖的になるというのは周りの環境の影響もあるんじゃないかな。

根岸 アメリカに対しては、逆にコミュニティがしっかりしていないという批判もあると思って。カナダは人種のモザイクだといわれるけど、アメリカはメルティングポット。日本の移民政策の話のときに、『アメリカみたいにする気はない。移民をみんな日本人に染め上げる気はない』と言っていて、アメリカは逆に画一化されているとみられていると思う。その意味では、こんなコミュニティがまだありますよ、とプラスの意味で推すこともできるのかなと。そこもやっぱり閉鎖的というのはネックなんだけど。アイデンティティを確立しているといえばいいのかな。

浅倉 そう言えば聞こえはいい感じもする。

先生が送った論文では、民族が結束することでアピールしてる、画一化を阻止していると書いている。

清田 ちょっと話は戻るけど、カストロでの質問でヘテロセクシャルは文化的につくられるというのは納得できない、っていう意見が出た。LGBTは生物学的に普通なんじゃないかってガイドさんが答えたけど、あれはさすがにないと思う。川畑君が感じたような感触が普通だと思うんだけど。あの答えを当たり前に受け入れた人って、この中にいる?

浅倉 子供の性は自由だとかいう話でしたっけ

清田 そうそう。あの時は木には雄雌がないって例を出して答えたけど、それはさすがに無理がある。一般に有性生殖をおこなう生物のカップルはヘテロが前提になる。ただ、子供を残せるのがヘテロ(マジョリティの側)で、マジョリティたる所以だって考えると、割とヘテロの側は厳しくない?自分たちの中で今彼氏彼女がいる人の中で、結婚して確実に二人以上子供を生む自信、覚悟が今あるっていう人いる?そういう話でしょ、ヘテロとLGBTの差異って。結婚しない自由も自分たちにはあるし、結婚していても子供産まない自由もある。そういう社会でどうやってLGBTを差異化しているのかがわりとあいまいなんじゃないか。

浅倉 何をもってLGBTとするか、ということですか?

清田 LGBTを排除したり、差異化したりする際に自分たちをマジョリティの側におくことが実はそんなに簡単なことじゃないのではないか。閉鎖性の話にしても、LGBTの人たちは戦時中に軍隊から排除されて、あそこに住まざるを得ない人たちが集まったのが発端で、今のコミュニティを作っているんだよね。一度そうやって排除された人々が住むところに、排除した側の人たちが移り住んできたことに対して、快く受け入れろというのは都合がよすぎるんじゃないかと思う。自分たちのことを考えてみても、友達同士のグループに誰かが一人入ってきたときに、閉鎖的とは言わないまでも、一瞬壁を作る。その人がどんな人かわかるまでは。そういう風に考えると、川畑君の言ったような閉鎖性はある意味どの集団も持っている。特にカストロやチャイナタウンは歴史的に排除されてきた人々のコミュニティだからなおさらのことでは。それを閉鎖性といった後のその先に、じゃあどんな閉鎖性を持たない集団があるのか、排除した側の社会の在り方とは、っていうのが難しい問いかけで、そこを含めて発展性があると思うんだけど。

浅倉 閉鎖性がなくなったあとの世界が、アメリカみたいに人種がごちゃまぜになるんですかね。

根岸 一般的にはどっちにも問題があるといわれていて、画一化したら伝統が失われるし、アイデンティティにこだわりすぎると争いも起こる。違いを認めたうえで、共生したいという思いはどっかにあると思うんですけど。違いを認めたうえで共生できているのか、という検討が私たちはできているのかな。閉鎖にしても開放にしても、共存できているのかな。

井竿 前は共存するのは難しいと書いたのだけど。中華街は閉鎖しているといわれているし、ジャパンタウンもすたれているといわれてどっちも悪い面がある。どうすればいいんだろうねという感じで…

根岸 それで先生に結論はどっちなのかと言われたんだよね

今議論はどっちが悪いのかみたいになっているけど…

井竿 どっちだと言い切れる問題ではないよね。

ホームページにまとめるときにそこは答えを出さなくてもいいんじゃないか。こういう疑問が生まれたってことが収穫だと思うし、それを報告したいと思って。結論は出さないほうがいいんじゃないかと思う。

注釈
  • *5 ジャパンタウン パシフィックハイツの南に位置するジャパンタウン。1968年の開設以来、ベイエリア周辺にすむ日系人の文化的中心となっている。ジャパンタウンが主催する桜祭り、盆踊りなど四季折々のイベントは、地元の人々始め、観光客で大変の賑わいがある。五重の塔を中心に3ブロックからなるJapan Centerには、日本の本屋、CD屋、ビデオ屋、レストラン、日本のスーパーなど、日本のものなら何でも手に入る。
  • *8 チャイナタウン  サンフランシスコの中心街であるユニオンスクエアの北部に位置するのが、全米でも有数の、中国系移民のコミュニティ、チャイナタウンである。高級住宅地であるノブヒルNob Hillや金融街であるオフィス街フィナンシャルディストリクトと隣接しながらも、途端に「中国的」な街並みが広がり、アメリカにいながらも「中国」を楽しむことができる。今回の訪問では単に街並みを眺めるだけではなく、中国歴史協会の見学、アジア系移民を法律面からサポートしていているAsian Americans Advancing Justiceのサンフランシスコ支部であるAsian Law Caucusへのインタビューを通して、歴史性を持った移民コミュニティの多層性と、勝ち取ってきたもの、そして今日的な課題を学ぶことができた。
  • *11 カストロ サンフランシスコを代表するコミュニティとも言っていいカストロ (Castro) は、セクシャルマイノリティであるLGBT (Lesbian, Gay, Bisexual, Transgendar) のコミュニティである。コミュニティはカストロストリートを中心に展開され、レインボーフラッグがそこかしこにたなびく特徴的な街並みを見ることができる。私たちはセクシャルマイノリティについて学んできたわけではないが、映画『ミルク』を通して彼らがおかれてきた状況を理解するとともに、ガイドをお願いしたキャシーの話を聞くことで、LGBTコミュニティについての理解を深めることができた。『ミルク』は、ゲイであることをカミングアウトしながらも、1977年サンフランシスコ市の市会議員に当選したハーヴェイ・ミルクをショーン・ペンが熱演した映画であり、1978年に暗殺されるまでのLGBT運動の歴史を知ることができる。カストロでは映画の場面場面で使われた場所を実際に訪れることができる。