アメリカSV

チャイナタウン取材ルポ

谷将志

チャイナタウン*8行きのバスから降りると、サンフランシスコとは思えない街並みが広がっていた。多くの中国系移民が行き交い、いかにも中国らしい露店が立ち並んでいる。それまで訪れた場所とは質の違う活気で満ちており、まさに中国人のコミュニティといった様相だった。事前情報として、数十年前まではサンフランシスコの中でもかなり危険な地域だったと耳にしていたが、そうした物騒な雰囲気は感じられなかった。また、こうしたコミュニティを表現する際にしばしば使われる「閉鎖的」という言葉も適当ではないと感じた。というのも、中国系移民の生活感に溢れてはいるものの、観光客と思われる人や単純に街中の露店目当ての現地の人もいるようで、閉ざされた空間に入っているような感覚は全くなかったからだ。そうして飛び交う言葉の違いや、食品店からの匂いなど、この地に独特の空気感を肌で感じつつ、予定していた中国歴史博物館を訪れた。そこで詳しく取材をしてみると、中華街のおおまかな変遷が見えてきた。ここで私が感じたのは中国系移民の質的変化とそれに伴う街の変化だ。

チャイナタウンの形成は、19世紀中頃に始まるゴールドラッシュが起源である。膨大な労働力を必要とした金脈の掘削作業は、世界各地から職を求める人々を呼び寄せた。男手を必要とする作業ゆえ、中国から海を渡った人々も男性が多数を占めた。こうした人々はあくまで職を求めて渡米したため、サンフランシスコの土地に馴染むことなく内向きなコミュニティを形成していった。

こうした中華街に変化が訪れたのは、1942年の新移民法の成立がきっかけである。米中がアジア太平洋戦争の同盟国となったため成立したこの新法によって再び中国系移民は増加していった。また、65年の移民国籍法の改正、中国本土の政治的混乱によって1960年代に中国系移民の大きな波が到来する。この時期から良質な教育や高度な技術職を求める人が増え始め、それに伴ってチャイナタウンの雰囲気も現在のもののように変化していった。

こうして中華街の歴史を概観すると、今後このコミュニティが完全に周囲との同化を果たす日が来るのではないか、という疑問が浮かんだ。近年の中国系移民の傾向からして当然とも考えられる帰結ではないかと思ったが、中華街の外れに拠点を置くNPO団体Asian Americans Advancing Justiceでの取材で興味深い意見が得られた。彼らはアジアからの移民を支援し、アメリカでの立場を向上させようとする団体である。担当者に上述した疑問をぶつけると、同化を志向しているわけではないし、そうなるとも思わない、という意外な回答が得られた。彼らによると、中華街は移民の入り口となるべき場所であり、中国とアメリカの架け橋的な役割を担っているという。たしかに中華街がなくなってしまえば言葉も文化も異なるアメリカへの移住は中国人にとってかなり敷居の高いものとなるだろう。

中華街での様々な取材を通して、このコミュニティに起こる間隙のない変化を感じることができた。それらは急速に進んでいるし、最後の取材で経験した通り簡単に予測できるものでもない。一つ分かったことがあるとすれば、コミュニティを構成する人々だけがその変化を引き起こすことができる、ということだ。その特殊性ゆえ簡単には予測のできない中華街であるが、今後もその変化は注目に値するだろう。

注釈
  • *8 チャイナタウン  サンフランシスコの中心街であるユニオンスクエアの北部に位置するのが、全米でも有数の、中国系移民のコミュニティ、チャイナタウンである。高級住宅地であるノブヒルNob Hillや金融街であるオフィス街フィナンシャルディストリクトと隣接しながらも、途端に「中国的」な街並みが広がり、アメリカにいながらも「中国」を楽しむことができる。今回の訪問では単に街並みを眺めるだけではなく、中国歴史協会の見学、アジア系移民を法律面からサポートしていているAsian Americans Advancing Justiceのサンフランシスコ支部であるAsian Law Caucusへのインタビューを通して、歴史性を持った移民コミュニティの多層性と、勝ち取ってきたもの、そして今日的な課題を学ぶことができた。