フィリピンSV

ホームステイを経験して

西村岳
人間文化課程 2年

今回私がホームステイしたのは、フィリピンの中で貧困でも富裕でもない、いわゆる中流家庭だった。2階建てで、1階は6畳、2階は4畳半くらいの広さで、テレビ、キッチン(ガス台付)、冷蔵庫、カラオケもあった。しかし(これはほとんどの家庭で)下水道設備が整っておらず、風呂はシャワーなしのかけ流し、トイレは直流しの状態だった。もちろん蛇口の水は飲めなかった。家族構成は父と母、そして4人の子どもがおり、親戚もよく遊びに来る仲の良い家族で、人柄も非常に良かった。

だが、夜一緒に晩酌を交わしていた時に、彼女たちフィリピン人女性の厳しい職事情について話していただき、そのつらさを目の当たりにした。フィリピンでは1部のエリート層を除いて、女性は15〜29歳までしかまともに働くことができず、オーバーエイジはメイドとして働くことが多いらしい。35歳で無職の彼女もまた、生活は夫の収入に頼っていた。彼女の1日の生活は、大まかに朝食、掃除、洗濯、昼食、買い物、夕食という流れで、これが365日ほとんどらしい。日本でいう完全な専業主婦である。若い時はエンターテイナーもしくは歌手として海外への出稼ぎを志していたが、当然需要はなく、学歴もそれほどなかったため国内での就職活動も芳しくなかったという。そうしているうちに25歳になってしまい、先があやうくなったところで現在の夫と出会い、間一髪で救われたのだと真剣な顔で話した。

そして驚いたのが、たいていの中流階級のフィリピン人女性が同じような経緯をたどっているということだった。日本では今でこそ、女性の就職に幅広い選択肢が与えられているように思う。しかしフィリピンではまず階級で分別され、そこから就職先を振り分けられることが珍しくない。都市で働けるのは都市で育った富裕層、そうでなければ相当な学歴を持った人物でなければならないということである。これを聞いて私は、格差についてこれまで文献や映像で知ったつもりになっていたこと、そして現実を生で目の当たりにして、机上の学習だけではなく、もっと現地のリアルな状況を見ていかなければならないと痛感した。

だが彼女は私が寝る前にこうも言ってくれた。
「確かに日本人から見れば驚くことかもしれないけど、私たちにはこれが当たり前。今はあなたとこうやってお酒を飲んでタバコをふかしながら話しているのがすごく楽しいし、誠実な夫とかわいい子どものスマイルを見られるから、わたしは明日も早くから朝食を作れるのよ。」
お金がなくても幸せは見つけられるし、決して死ぬわけでもない。これまで自分の考えていた「幸せ」がいかに小さいものだったか考えさせられた。