フィリピンSV

国境を越えて見えてくる原発との向き合い方

田島南実
人間文化課程 1年

2月21日、バターン原子力発電所*5を訪れた。未使用の原発施設だ。見学の前に職員の方が概要を説明してくれた。聞きながらすっきりしない感じを覚えたのは、福島原発を思い浮かべていたからだと思う。「ん?」と度々引っ掛かるのは、原発の利点を強調された時だ。何万年ももつ供給源だとか、廃棄物の処理については万全だなどと聞くと、妙に反応してしまう。英語でのプレゼンだったため先生の通訳を介して話を聞いていたが、語られる原発の姿は輝かしく、話してくれた職員の方個人も施設の稼働には賛成ということだった。原発への疑念が先立ってしまう私は、賛成とも反対とも答えられなかったと思う。

バターン原発職員による原発のプレゼンの様子

バターン原発の内部

今回、原発の安全性を疑う自分の気持ちを実感すると同時に、自分とは違うスタンスで原発に臨む人がいることを知った。しかし賛成・反対に関わらず必要なのは、原発の利点とともに危険性を共通の知識として知っておくことだとも思った。福島第一原発事故によって緊急時の対応・災害対策の不備や施設のシステムの弱点が露呈した。以前は原発という言葉が会話にのぼりすらしなかったのが、事故をきっかけにその性質を意識するようになったという人も多いだろう。それまで無関心だった人が原発の存在を真剣に捉え始めたということだ。これからの原発の在り方について、事故から得たものを教訓として踏まえたうえでそれぞれが意見を持つのなら、より洗練されたアイディアが生まれるだろう。

エネルギー供給に国家間の協力が不可欠であることは明白で、現に日本も燃料や供給施設の建設において外国に頼る部分は大きい。しかしエネルギーに関する「国際協力」は供給を目的とした物理的な相互扶助に留まるべきではなく、多面的な連携をも要するのではないだろうか。国を越えて問題意識の啓発が実現すれば、それこそ「国際協力」に貢献できるのではないか。福島原発の事故は日本にとって重要な経験となった。それが日本に何を示したかを海外に伝えることが求められる。

原発の目の前はやはり海だった。バターン原発は海抜18メートルの所にあり、海抜10メートルの福島原発よりも安全ということだ。その日の昼食はすぐ近くのビーチで食べた。刺すような日差しの中ヤシの葉の緑と海の青がくっきりと目に映り、浜辺の砂は焦げるように熱い。日に当たると肌が焼けるようなのに、潮風は涼しかった。もしもここに津波が来たら。「ここで事故が起きたら、この海にも汚染水が流れていくんだろうね」友人の言葉が忘れられない。

注釈
  • *5 バターン原子力発電所 マルコス政権時に工業化に必要な電力の確保のために多額の資金を投入し建設された原子力発電所である。しかし、建設当初からバターン原発の問題点が指摘され、フィリピン市民の間で反原発運動が起き、スリーマイル島、チェルノブイリの事故もあり、次のアキノ政権時に一度も使用されることなく原発は閉鎖された。