フィリピンSV

フィリピンSVツアー概要

真夏の気候、あたたかいフィリピンの人々、日本とはまた違ったおいしいフィリピン料理。そんな素敵な環境に囲まれて、たくさんのことを経験し、私たちはフィリピンから様々な思いを持ち帰った。行ってよかったと本気で思えるSVがあった。

フィリピンSV 2014 ツアー日程

注釈
  • *2 イントラムロス スペイン統治下に作られた市街地で近代マニラの発生の地であり、当時使われた建造物やサンチャゴ要塞などの史跡が残っていてスペイン時代の名残を残す観光地となっている。
  • *5 バターン原子力発電所 マルコス政権時に工業化に必要な電力の確保のために多額の資金を投入し建設された原子力発電所である。しかし、建設当初からバターン原発の問題点が指摘され、フィリピン市民の間で反原発運動が起き、スリーマイル島、チェルノブイリの事故もあり、次のアキノ政権時に一度も使用されることなく原発は閉鎖された。
  • *13 カンルンガン マニラにあるストリートチルドレンを支援するNGO団体。正式名称はカンルンガン・サ・エルマ。親から虐待を受けたり、ニグレクトを受けた子供たちが入っているが施設に入れない子供たちも多い。SVでは折り紙などを用いて子供達と交流した。
  • *16 パヤタス ケソン市北東部に位置する地区。マニラ首都圏のゴミが捨てられる廃棄物処分場が有り、毎日膨大な廃棄物が分別なしに集められ巨大なゴミ山が形成されるに至った。日々積み重ねられていく廃棄物によってゴミ山はどんどん巨大化し、2000年にはついにゴミ山の崩落事故が発生した。500軒のバラックが下敷きとなり公式に確認された犠牲者は234人、実際には800人とも言われる犠牲者を出した。事故を受けた政府は廃棄物処分場の閉鎖を決定したが、崩壊したゴミ山の近くに新たな廃棄物処理場を作り、パヤタスの第二のゴミ山として巨大化し続けている。フィリピンには廃棄物焼却場が存在しない。
    ゴミ山の写真撮影は禁じられていた。
  • *21 ロラズハウス ロラズハウスは戦時中に日本軍の従軍慰安婦だったという経験を持つロラ(タガログ語、「おばあさん」の意)たちが集まる団体。正義を勝ち取るとめに、ロラたちのエンパワーメントや本人を含む家族の問題への理解促進、一時的なシェルター、そしてもちろん日本政府への抗議等を行っている。
  • *22 UP fair フィリピン大学の創立を祝うお祭り。大学内の広場に移動式の遊園地が設置されたいへん盛り上がる。
  • *23 DAWN JFC(日本人男性とフィリピン人女性のあいだに生まれた子供、推定10〜20万人いるとされている)とその母親の支援を行っているNPO団体。出稼ぎのためにフィリピン人エンターティナーとして来日した女性が日本で出会った男性と子供をもうけたが、認知や国籍、アイデンティティなど国境をまたいだ複雑な問題が子供たちにまとわりつき、その解決のための支援を行っている。SVではDAWNの説明や織物体験、JFCの母親の体験談を聞いたり、子供達とランチを食べこの問題に対する考えを共有した。
    http://jfcmultisectoralnetworkingproject.org/index.php/ja/dawn
  • *24 エコミスモ フィリピンで孤児院やストリートチルドレンの支援を行っているNPO団体アクションのオリジナルブランドのことで、アクションはお菓子の袋を再利用してオリジナルの小物や入れ物を製作、販売を行っている。
  • *25 コレヒドール島 ルソン島マニラ湾の入り口に浮かぶ小島。アメリカ統治時代に本島は巨大な大砲を擁する要塞となった。第二次大戦時に日本軍がフィリピンに侵攻した際、アメリカ・フィリピン軍の司令部が置かれ激戦が繰り広げられた。現在では第二次大戦中の武器や要塞設備が保存されており、巨大なマリンタ・トンネルや廃墟となった兵舎などを含めた観光スポットになっている。