パラグアイSV

0907-0916 サントドミンゴ村調査

9月7日からは首都のアスンシオンを離れて、農村部でのフィールドワークのために活動拠点を東に移した。今まで、アスンシオンではバスでの集団移動であったが、これから行く先は道路の整備されていない赤土の道。ランドクルーザーを4台とワゴン1台を貸し切っての移動となった。 各車両にはスペイン語を介する者が配置されるよう班分けを行ったが、調査の中盤になると、私たちもいくらか単語を覚えて、「サントドミンゴ、バモス!」と知りうるスペイン語でドライバーの方とコミュニケーションをとりながら活動ができるようになった。私たちがフィールドワークを行う対象として選んだのはミタイ基金によって既に学校が建設されているサントドミンゴ村、私たちが渡航した際に建設工事が終了したウブウテエ集落キンタイ地区、そして建設工事途中であるメルセデス地区の3つの地域である。農村部になると、スペイン語ではなくグアラニー語しか分からないという住民もいるため、通訳の力を借りる場面が多々あった。車の手配から通訳の配備、すべては藤掛教授がこれまでパラグアイで国際協力の現場で第一人者として活躍されてきたからこそのことであり、日本人・パラグアイ人含む多くの関係者が助力してくれたのである。ここまですべて整った環境下でフィールドワークを展開することは通常ではありえないのだということを肝に銘じながら調査活動を行った。私たちが滞在することになったのはカアグアス県のコロネル・オビエド市。コロネル・オビエド市はパラグアイの研究者である藤掛教授のいうところの「南米で最も安全な国がパラグアイで、そのパラグアイで最も安全な街」であるという。ホテルは大きなスーパーが並んだ市の中心部に立地し、温かいシャワーやWi-Fi設備までも整っており環境的な面では何不自由することはなかった。とはいえ、ここで気を抜いてしまってはいけない。これから農村に入り調査活動を展開していく、ということを自覚せねばならなかったので私たちは今一度気を引き締めなおした。

7日から16日にかけてサントドミンゴ村、メルセデス地区、キンタイ地区ウブウテエ集落の3つの村を回って調査を行った。このページではサントドミンゴ村を回って私たちが感じたことについて触れたいと考える。次のページではメルセデス地区、キンタイ地区ウブウテエ集落の2つの地域での調査とコロネル・オビエド滞在中に訪問した施設のことについて紹介する。

サントドミンゴ村に到着したのはアスンシオンを出発した9月7日の午後である。昨晩買い出しをした飲料用の水のタンクと非常食用のクッキーを各班で車両に積み込み日系社会福祉センターに一時のお別れをして、カアグアス県のサントドミンゴ村にある学校へ向かった。途中まで、パラグアイを横に二断している国道を走ったため、道中の道路環境は快適であったと言えるが、国道からそれて村へ進入しようとする道からは整備されていない赤土道へと変わった。 ランドクルーザーに乗っていてもシートから伝わる揺れが大きく、この先に本当に人が住んでいる村などあるのかとさえ感じた。そして数キロ進むと連なる家々が見えてきた。ランドクルーザー4台と大きなワゴンが村にずけずけと入ってきたのは住民にとっては極めて異様な光景であったと言えるだろう。そして私たちはついに、サントドミンゴ小学校に到着した。今まで藤掛教授の見せてくれた写真や動画でしか見たことのない小学校についに私たちは到着したのである。「ああ、私たちは本当にパラグアイに来たのだな」「ここに来るために頑張ってきたのだな」と改めて実感した。 建物に相対することができてしみじみとしたが、私たちがこの地に来たのは「建物を見る」ためではなく「その村の人たちに会う」ためである。ところが小学校は閑散としていて、そこにいたのは小学校建設当初に力を貸してくれた女性2人だけであった。子供たちの姿は見られなかった。本当に私たちを歓迎してくれるだろうか?少し不安な気持ちに駆られたが、別の広場で私たちを迎えるためにセレモニーを準備してくれているということ。ついに私たちが支援している子供たちに会えるという嬉しい気持ちと不安な気持ちとを抱えながら広場へ移動すると、そこで待っていたのは大勢の村人たちと子どもたちであった。 その後の光景を見て私の中の不安は一気に消え去った。子供たちは藤掛教授と私たち一行の姿が見えると、満面の笑顔でかけよってきたのだ。湧き上がる「YOKO」コール。みんな、藤掛教授と私たちの到着を心待ちにしていたのだ。その場の雰囲気は信じられない光景だった。子供たちが皆、教授に抱き付いてベソをするのである。教授がこれまでこの村で培ってきた関係性が一目でわかる光景であった。 私たち一行も同じく歓迎され、感動のあまり涙を流してしまうメンバーもいた。私の文章力ではその情景がどれだけ感動的なものであったかを表現しきれないが、全身鳥肌がたち、その場にいる子供たちが愛おしくて愛おしくてたまらなかった。

その後広場の大きな木の下に皆集まり式典が始まると、現校長先生や保護者代表の方のお言葉をいただいた。かわいいダンサーがダンスで出迎えてくれ、伝統的なボトルダンスも見せていただいた。私達からは、これから始まるフィールドワーク調査に協力していただくため、お願いし挨拶した。 その日は用意してくださった軽食と共に村人とお話したり、子供たちと共にサッカーをしたり、楽しく過ごすことができた。これからのフィールドワークも楽しみでならなかった。

そして翌日以降本格的な調査が始まった。調査の方法としては、主に半構造インタビューを用いた聞き取り調査を行い、5つのグループ(調査班が3班、世帯調査・地図作成班が1班、ホテルに残って今までのインタビューや記録データの整理・文字起しが1班)に分かれて行動した。ここで少し私たちのフィールドワークの方法について詳しく説明する。調査班は名前の通り1軒1軒家を訪問して話しながら調査をする班で、世帯調査・地図作成班はその地区の地図を作成する班である。私たちが調査している地区は小規模の居住地や村なので正確な地図はほとんどない。はじめは家の並びを把握し、土地の大きさなどを聞いて計算する手法をとったが中々上手く行かず、途中からGoogleマップの航空写真と照らし合わせてそこに家の点在を記していくという手法をとった。そして最後の居残り班は、この調査で最も重要な役割を果たした。村人への調査も大事なのだが、フィールドワークを行う上でもうひとつ重要なことは映像・音声記録やその整理である。それを担当するのがホテル居残り班だ。私たちはインタビューをする際に必ずカメラを回し、ICレコーダーで録音しメモを取った。その量は一日中調査し、記録していることもあるので量は膨大である。それをその日の夜のうちにパソコンに文字として記録しなおすのだが、その作業が果てしなくとても辛い上に、夜遅くまで作業をしていることもあり、寝不足とパラグアイの強烈な日光で体調を崩す人も出てくるほどだった。 この班は、休養と作業という2つの面を持ち、そのおかげで初めてのフィールドワークでも課題が解消されるのだった。

調査ではスペイン語を話せる人に通訳としてついてもらって家をまわるのだが、中には先住民族の言語であるグアラニー語しか話せない村人もいる。おじいちゃんとおばあちゃんの二人暮らしの家では、二人ともグアラニー語しか話せない方で、これでは調査がうまく出来ないかもしれないと思うこともあったが、私たちが調査をしていることを知っていた村の方がグアラニー語からスペイン語への通訳をするためにわざわざ自ら来てくださることもあった。調査をしているときには、ほとんどの家庭でテレレ(パラグアイでポピュラーな冷たいお茶)を飲ませてくれる。皆さん「マテ茶」のことは知っていると思うが、マテ茶は本来温かいもので、テレレは冷やしたものである。パラグアイでは回し飲みをする風習があり、友達や家族同士で飲むのだがそれを差し出してくれた時には私たちに親近感を抱いてくれることの証でもあるのでとても嬉しかったし、どの家庭に行ってもごちそうして頂いた。回し飲みなんて、と思われる方もいるかもしれないが、「郷に入ったら郷に従え」ということで、私は全く気にならなかったしそれ以上に嬉しいという気持ちが先行した。

調査では1軒1軒家を回った。ほとんどの世帯がたくさんの家畜を飼っているので、家と家の距離が遠く、地道な作業であった。調査をすると、牛を50頭以上も飼っているお宅もあり、それぞれの家庭にそれぞれの生活背景があって調査者として感じるものは多くあった。家族構成や日々の暮らしのこと、教育についての意見など様々なことお話しいただいて、時間はかかったがどの家庭での意見も興味深い貴重なデータであった。「調査は午前中1軒。そこでゆっくりテレレでも飲んで話をして、そして午後に1軒。それだけできれば上出来。」渡航前に教授が話してくださった言葉を思い出し、全くその通りだと思った。調査がもっとサクサク進むものだと思っていたので、全然進まなくて唖然としてしまったからだ。これでは調査期間が全然足りない、と焦る気持ちもあったがそのために調査班が3つもあるのだ。私たちが行っているのは量的調査ではなく質的調査。 住民の言葉に真摯に耳を傾けた。のんびりたくさん話をすることで見えてくるその方の人物像や日々の生活もあり、とても興味深かった。

世帯調査・地図作成班は、文字どおり地図を作るとともに、各家庭の家族構成や家畜の数、作物の種類を聞いていった。この班は調査班ほど長くは滞在せず、淡々と作業をこなしていったのだが、各家庭で聞きたいことは多くあり後ろ髪を引かれる思いをしながらの調査であった。でもそれだけ多くのデータを得ることができたし、学校のPTAとして役員をしている家庭を訪問した際には調査班と情報を共有して、次の日にはその家での意見を聞くために調査をするといった、効果的な調査をすることもできた。最終的には、この班だけでは世帯調査が終わらず、全部の班で手分けして行い何とか形にすることができた。

調査は各家庭を訪問する場合もあったが、保護者会の会合に立ち会うこともあった。広場の大きな木の陰で小一時間ほど教育の現状について議論を交わした。親たちは子供の教育についてとても真剣に考えていて、どのような問題があるのか、どのような学校にしたいかなどを熱弁してくれた。調査者としてこれを記録したのだが、同時に私たちはミタイ基金の支援者でもある。これからも勉強を頑張ってほしいということで筆記用具とたくさん遊んでのびのびと育ってほしいということでサッカーボールを寄贈した。その分、親からも子供たちからも「生きた言葉」を聞ける上に「感謝の言葉」も聞けたのでとてもよかった。

調査を進めていき、各班で得たデータを分析していくと、世帯によって建設された学校に対して意識の相違やニーズの違いが判明していった。ある家では学校ではなく、保健所のような施設が必要であるという意見もあれば、もっと広い敷地に学校を作ってほしいという意見など様々であった。そして何より学校の運営に対して保護者や先生、学校の敷地の権利を持つ農協などで認識の違いが顕著であった。原因はそれぞれが持つ情報がクローズドなもので、噂話レベルで妄想が誤解へと変わっていたことが起因していた。話し合いなどが定期的に開催されていれば解決も可能なのではないかとも考えられたのだが私たちがこの村に滞在する時間はわずかで、そこで積み重なった問題をすべて解決するのは困難であった。そのため私たちは村人たちに問いかけ、村人全体での会合を行うことにした。学校の校庭に昼過ぎにみんなを集めそれぞれの言い分を主張してもらった。今までたまっていた不満や事実が浮き彫りになって、勝手に膨らんでいた誤解もいくらか解消され、会合は大変有意義なものとなった。昼の気温は35度を超えていて、暑い中2時間以上の長い会議であったが、皆が真剣なまなざしをしていた。これから定期的に会合を開いていくことを約束してその日の調査は終わった。

さて、調査とは少し離れて、サントドミンゴ村で経験した裏話を少し。調査の合間では暇な時間がいくらかあった。そういった休憩時間にはカンチャと呼ばれる広場で子供たちとサッカーやバレーをして交流をした。子供たちは私たちを見た瞬間に寄って来て、あそぼ!あそぼ!と目をキラキラさせる。スペイン語は未熟な私たちではあったが、スポーツを通して子供たちとすぐに打ち解けることができた。さすがサッカー大陸の南米ということで、村の子供たちは毎日ボールで遊んでいるのでとても上手。子供たちとおもいっきり遊んでとても楽しく、また嬉しかった。女の子も一緒にバレーボールをしたりと、みんなが楽しむことができた。時には暗くなるまでサッカーをし、夜が遅くなると危ないからと藤掛教授に軽く怒られてしまうことがあるくらい時間を忘れて子どもたちとのサッカーにのめり込んだ。

調査の際を含め、村に滞在した際には何度も食事を振る舞ってもらった。学校での軽食を準備してもらった時にはチャンチョ(豚の丸焼き)が用意されて私たちは大変驚いた。頭はないにしても一頭丸々。味の方は、皮がパリパリ、お肉は脂身でジューシーととてもおいしかった。家を訪問した際にはお昼ご飯をご一緒させていただくこともしばしば。ご飯、サラダ、マンディオカ、にんじんジュースなど振る舞ってもらった。野菜は全て畑で育てているものだそうだ。ある家では、私たちのために飼っているニワトリをさばいてくれる家庭もあった。新鮮な食材ばかりの食卓でどの家庭に行っても温かく家族のように接してくれ、もてなしてくれた。

農村調査を一通り終えると、私たちは村人たちと交流会の意味合いを兼ねてキヌアを用いたエンパナーダの料理教室を開催した。キヌアとは、栄養価がとても高く、どこでも簡単に栽培することができる穀物で、今回の渡航では、このキヌアの栽培をパラグアイに普及し、食生活における栄養改善を図ることも目的のひとつであった。エンパナーダとは、卵、お肉、ねぎなどを炒めたものを生地で包んで揚げた食べ物で、日本で言えば揚げ餃子と表現するのが一番近いだろうか。今回はこのパラグアイの伝統的な食べ物であるエンパナーダに、キヌアを入れて調理することにチャレンジした。 手慣れた村人たちに作り方を教えていただきながらついに完成したエンパナーダはとてもおいしく、一緒に作業をしたことで、村の方々との仲も一層深まるのだった。良き思い出の1つとなった。

調査を終えて率直に感じたのは、「私たちが村に介入することで解決することもある」ということである。私たちが調査をして会合の話を持ち掛けなかったらこの先もずっと話し合いの場は設けられなかっただろうし、何も進展はなかったのかもしれない。今回の調査で即答で「ここに学校を立てます」と答える無責任なことは日本のミタイ基金のスタッフや支援者のことを考えてもできなかった。これからまたその件に関しては真摯に考えていかなければならない。調査者として、支援者として、どのように関わるかは大きなテーマで私たちの今後の課題である。