パラグアイSV

渡航準備

パラグアイ渡航を前に、私たちには準備しなければならないことがたくさんあった。国際協力やフィールドワークの手法については1年以上かけ、スタジオ学習を通じて学んでいたのだが、パラグアイで具体的に何をするのかということに関しては、内容を詰めていく必要があった。7月からパラグアイSVに絞って講義がなされていき、途上国における防犯意識のための講義や予防接種等の講義を外部のゲストスピーカーの先生にして頂いた。ゲストスピーカーの医師の先生のお話では黄熱病、狂犬病、A型肝炎、破傷風などが心配されるとのことで、多くの対策が必要だということを学んだ。さらに7月にはパラグアイ大使館を訪問しご挨拶させていただき、スタジオ学習ではパラグアイでのフィールドワーク調査時に用いる「半構造インタビュー」と呼ばれる調査手法の学習に取り組んだ。

しかし7月のスタジオ内だけでは具体的な工程などが不十分であった。そこで、渡航1ヶ月前の8月にパラグアイ渡航事前合宿を行うことになった。3日間の集中合宿と直前の合宿である。渡航メンバーは朝から晩まで学校に集まり、作業を進めていった。

3日間の合宿の1日目には、簡単な行程確認・ゲストスピーカーの先生方の講義・JICA横浜の訪問・交流会の出し物の決定・お土産リストの確認などを行った。今回の渡航は報告用のドキュメンタリーの記録として残すために、ビデオカメラを持ち込むことに。映像資料や画像資料・音声データはフィールドワークにおいても重要な資料となりうるだけに重要な渡航報告のプロジェクトである。そこで映像や撮影手法に詳しい先生をお招きして、簡単なレクチャーをして頂いた。JICA横浜訪問時には、JICAパラグアイ事務所訪問の件や青年海外協力隊のサイト訪問、キヌア栽培プロジェクトについてのお話をした。パラグアイ滞在中にはJICA関係者の方々に大変お世話になり、多くの場面でお力添えいただいた。また、滞在中の交流会等での出し物として「ソーラン節」と日本の歌を披露することに決定し、合宿中その練習に取り組むことになった。アスンシオン国立大学や、日本人学校、日系人居住地での交流会の出し物として披露すべく練習し、合宿1日目の行程は終了した。

合宿2日目では、引き続きソーラン節の練習と並行して、パラグアイに持っていくもののリストの確認と分担、そしてフィールドワークで使う質問票の作成を行った。持ち物リストの確認など小学生の遠足じゃあるまいし、と思われる方がいるかもしれないがフィールドワークにおいては大変重要な確認事項である。カメラやICレコーダーなどの備品やPCを誰が管理するのか、班ごとに確認しあい役割を認識した。そして渡航のメインでもあるフィールドワークでの質問票の作成では、調査を行う予定の三つの村(サントドミンゴ、ウブウテエ、メルセデス)とラ・パス日系居住区でそれぞれどのような質問をするのかまとめた。そして先生や大学院生、留学生の方の力を借りて質問表をスペイン語に翻訳していった。どのような調査手法を選択するか、質問表を作成するのかで調査の質が大きく変わっていくだけに、質問表については以前から何度か議論を重ねており、よりよいものになるよう最善を尽くした。フィールドワークは「野良仕事」であるとも言われる。現地で調査をしてそれを報告書としてまとめるのは「収穫」に過ぎない。より質の高い「収穫」を迎えるために、種まきから水やり、草抜き等、行わなければならないことは山積していた。ほとんどのメンバーにとって初めてのフィールドワーク調査、さらには遠く離れた異国・パラグアイでの調査ということで各々不安もあったが、パラグアイでの調査がより実りのあるものになるように皆で意見を戦わせた。

集中合宿最終日の3日目、旅行会社の方をお招きしての渡航スケジュールの確認やお土産の手配、そして引き続き出し物の練習を行った。旅行会社の方からは経路や税関申請等々の詳しいお話を聞くことができた。そしてパラグアイにお土産として持っていくYNUグッズの手配などを行った。このころには出し物のソーラン節や歌もいくらか様になるように上達していた。合宿では大幅に作業は進んだのだが、それでも必要事項は山積み。工程表の確認、車の配置、予算策定、走行距離の確認、調査内容の確認――。徹夜の夜は続いていった。

そして8月中旬には黄熱病の予防接種を受けた。予防接種は基本的に任意だが、国によっては予防接種の証明書を入国時に求められることがあるらしい。私たちは渡航スケジュールの中でブラジルに1日だけ入国するため、黄熱病の予防接種を受けて発行される「イエローカード」を取得しなければならなかった。他にも、領事館へ赴いてのVISAの取得やアメリカ入国の際に必要なESTAの申請など個人で準備を進めていった。並行して、パラグアイに青年海外協力隊として派遣されていた本学OBの先生をお招きしてパラグアイの現地語であるグアラニー語の勉強会も行われた。

渡航4日前の直前合宿では、最終の確認が行われた。しかしそこでもアレンジメントしなければならない事項はたくさんあった。行程の確認や、荷物のチェック、緊急連絡先のなどを再確認した。大使館に行くときの服装やパラグアイの日本人商工会の方々とのお食事会などドレスコードがあるときに必要な身なりの確認や、お金のドル替え、時差慣らしなど個人でも対応しなければならないことがあり、この日も徹夜が続いた。

そして、出発当日――。昨晩時差を鳴らすために徹夜したのか、みんな目をこすりながら成田空港に到着した。ここまで多くの困難や苦労があったが、すべてはこの渡航のためのものだったので辛くは感じなかった。ついに出国ゲートをくぐり日本を出発する。成田からヒューストンへ、そしてサンパウロへ、そしてアスンシオンへ。ついに待ちに待った1か月が幕を開ける――。
写真は成田空港での1枚。