パラグアイSV

パラグアイの歴史

鈴木温子

スペイン人にパラグアイが発見されたとき、そこに住んでいた先住民族は、グアラニー族であった。グアラニー族は、もともとアマゾン川流域に暮らしていた民族で、アマゾン川支流からパラグアイ川支流へと移動し、徐々に南下して現在のパラグアイ東部にたどり着いた。

その後グアラニー族の暮らす地域に、スペイン人が黄金郷を求めてやってくるが、その際、アスンシオン周辺に住むグアラニー族がスペイン人を温かく迎え入れたことにより、スペイン人は拠点をアスンシオンとして黄金郷探しをすることとなった。グアラニー族とスペイン人は良好な関係を築き上げた。それが、現在のパラグアイで人口のほとんどが白人と先住民の混血であるメスティーソとなっている理由につながる。

スペイン人は黄金郷探しだけでなく、キリスト教の布教も目的としてグアラニー族の暮らす地域を訪れていた。布教しに来たのは日本でもよく知られるイエズス会だった。彼らは活動をしやすくするために、教化村をいくつも作った。いくつもの教化村が集まった地域でグアラニー共和国が誕生した。こうしてグアラニー族とスペイン人が交流していくうちに、グアラニー族にヨーロッパ文化も普及していき、今日のパラグアイ文化にもその影響がみられる。

1811年5月15日、彼らはパラグアイ共和国として独立を達成した。パラグアイとして独立したのは、スペインの植民者が、南米諸地域を統治しようとしたことがきっかけである。独立後は独裁政権により、他の南米から抜き出て発展した国に成長した。

しかし、1865年からの三国戦争をきっかけに、不安定な政治・経済状況が続くこととなった。三国戦争は、ブラジル・アルゼンチン・ウルグアイの三国対パラグアイの戦争である。パラグアイは、初めは優勢だったが結局負け、発展は行き詰まり、国土も人口も減少してしまった。このときの男性人口の減少が、男性優位のマチスモ思想に加わり、ますます女性の社会的地位の降下が進むこととなった。

三国戦争が終結した数十年後、パラグアイはボリビアと、チャコ地方をめぐって戦争をした。チャコ地方は、現在のパラグアイ国の、パラグアイ川よりも西の部分である。チャコ地方には石油が眠っている可能性があったため、両国ともにこの地を欲しがっていた。結果、この戦争はパラグアイの勝利に終わり、三国戦争終結以来内戦を起こしていたパラグアイ国民に、国民意識を根付かせた。

三国戦争とチャコ戦争という、パラグアイにとって二大戦争と言える戦争を終え現在に至るまで、三国戦争以前のような発展は見られず、安定しない政治・経済状況が続いている。

参考文献
  • 田辺裕(1997)『図説大百科 世界の地理5 南アメリカ』朝倉書店
  • 田島久歳・武田和久(2011)『エリアスタディーズ86 パラグアイを知るための50章』明石書店
  • 田中裕一(1999)『南米のパラダイス・パラグアイに住む―脱・サラ日本人が見た〈南米共同市場〉の小さな楽しいラテン国―』アゴスト
  • 船越博(2007)『パラグアイのサバイバル・ゲーム “南米のへそ” 世界一親日国の秘話』創土社
  • 青木芳夫(2003)「パラグアイにおけるグアラニー語と先住民族」『総合研究所所報』奈良大学総合研究所、11号、pp.87-107
一次資料
  • 坂野鉄也(2009)「今の研究を語る「パラグアイの不思議な魅力」」『しがだい:滋賀大学広報誌』滋賀大学、pp.13